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​一つ一つ真心こめて

​~ お客様に喜んでもらえる商品を ~

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 奥多摩の豊かな自然と清流の中で育まれた風味豊かなわさび。丁寧に醸造された日本酒の酒粕。金子商店は、この二つの恵みを、職人の確かな技で「わさび漬」に加工する会社です。

 昨今、わさび漬の健康効果が話題となっています。昔ながらの変わらぬ伝統の味を守りつつ、お客様に親しみをもってもらえる新たな食べ方も探すべく、邁進してまいります!

​​わさび漬の金子商店   

初  代 金子宇七 (金子家3代目)

  大正13年 青梅町勝沼87番地で加工品であるわさび漬

       製造販売を始める
 

2 代目   金子益三 (金子家4代目)

  昭和33年 現在の場所青梅市東青梅4丁目13番地

       (当時は青梅市西分字中原221番地)

       工場を新設し営業拠点を移す

​    以来、この場所でわさび漬などを作り続けています。

  昭和53年 株式会社金子商店に組織変更

  昭和62年 本社・工場新築

  昭和63年 直売店 新設

  平成 2年  東京都知事より優良施設として受賞
  

3代目 金子典由 (金子家5代目) ← 今ここです

  平成 8年 代表取締役に就任 

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​城の家 標高700m

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金子家とわさびの関わり

 昔々、雲取山の麓 城という所に家があり金子の先祖が林業の傍らわさびを栽培していました。

生年の記録が明確なのは、金子宇七 江戸時代の天保2年(1832年)11月15日に生まれまで遡れます。

 

初 代  金子宇七

    天保2年(1832年11月15日) 七男  他の兄弟記載なし

2代目  金子松五郎 

    安政6年(1860年11月25日)長男 妹一人は記載あり

3代目  金子宇七金子商店の初代

    明治34年(1901年3月11日) 10人兄弟の7番目の4男

       紛らわしいことに祖父と同名  

       

 江戸時代末期にわさびの栽培を専業とするようになりましたが、 わさびの栽培をはじめたのは 初代金子宇七なのか、その前かは定かではありませんが、金子宇七はわさびの栽培をしていたようです。その後金子松五郎の時代 松五郎は子供も多くまた、甥や姪、孫も

戸籍に記載されています。皆が一緒に住んでいたわけではないでしょうが同居、別居を含めて一族でわさびの栽培、販売をしていましたので栽培面積も広くなっていたと思われます。

   松五郎の四男(7番目の子供)金子宇七が生わさびを売るため、青梅町勝沼87番地に居を構え 現在の金子家に続きます。宇七も子供が多く(というか当時は普通?) 親子で収穫したわさびを手入れし また、わさび漬にしていた と当時を知る方々に聞いています。

 

 城の本家は松五郎→金子宇平→金子元一と継がれました。

金子元一は奥多摩のわさびの栽培者であり、研究家としても活躍し、著作、講演などもしていました。

 現在 家は取り壊し 近くにお墓があるだけです。今は自動車でも登っていけますが 当時は山道で徒歩でしたので 先祖の脚力はすごかったのだろうと思います。

思い出話

昔 多分小学生3か4年生のころ今の厚木市上夜地のわさび田にわさびを収穫に行ったとき わさびを引き抜いたときすごく大きなガマ蛙が出てきて すごく驚いたのを 思い出します。記憶だけだから確かめようもないが今まで見た中で一番大きかったとお苦心している。 山の中ではなくても わさびを栽培していたなぁとも。 
東京都の三鷹市天文台辺りにも わさび田は あったし 昭島市宮沢のお寺(多分阿弥陀寺)の裏にもあった。
昔 祖父(宇七)から 先祖はここを自転車を押して行ったものだ と聞いていた。 先祖とは自分の事なのだが、 ここというのは名栗から横瀬に抜ける道 山伏峠だった。  う~ん。 驚かされる体力・・・ 当たり前だがスポーツサイクルではない
実用車 車体は滅茶 重いだろうし変速なんてない。 でも 確かに押してと 言っていた。 流石に 乗ってとは いかなかったのだろうと思うと 少し安心。 ご先祖様に怒られないように生きなくてはと思う今日この頃。 
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